ESULOG

独身会社員の雑記兼アウトプット修行

フィクションとは

(日本時間における)2024年10月25日、大谷翔平の会見には各国の報道陣がそれはそれは押しかけたそうだ。その姿・言葉をよりよい場所で己の記録媒体におさめようと陣地争いが勃発し、怒号すら飛び交う現場だったというニュースを読んだ。
その信ぴょう性は確かめていないけれど、まあ大谷翔平ともあらばそんなこともあってもおかしくなかろうと思ってしまう。
たった一人のスターに、世界中が熱狂する。なんだか漫画かドラマのような話だなあという感想を抱いた。


似たような感覚を数年前にも覚えたことを思い出す。東京の街並みから人が消えた2020年の春。
新宿駅の中継を見て、ドラマでもそうそう見ることはない、せいぜいアニメでしか描きようがない映像だと感じた。新宿駅なんて24時間絶えず人がいるのに。まぁ、それはそれでおかしな話なんだけど。


そう思うと、「ドラマみたいだな」「漫画みたいだな」「小説みたいだな」、何かしらのフィクションに近いような感覚を覚えることって意外と多い気がする。友人の結婚の経緯とか。
具体的な内容は避けるけれど、なかなかドラマチックな恋愛をしている奴がちらほら居る。


フィクションとは架空・非現実…みたいな思考から考えると「意外と多い」という感想に至るのだが、実は多く感じるっていうのは当たり前のことなのかもしれない。
現代におけるフィクションといえばドラマ・漫画・小説… おおむねそういったものだとする。
それらの中には大衆の共感を勝ち得てファンを獲得するという商業的な目的を持つものも生まれる。その目的を達成するために共感性の高いシナリオを用意する。すると、「ドラマらしさは必要だけれど、共感を得られるギリギリのライン」を描く必要が生じてくる。


そう考えると、まあ、案外フィクションって現実に近いラインなのかもしれない。
なのに身の回りの話を聞いて「それってドラマみたい!」という感想を抱くのは、ドラマとかフィクションっていうワードに対するステレオタイプからくるものなんだろうな~なんて思った。まあ、ドラマチックとか劇的なんていう形容動詞(副詞?)があるくらいですから。


さて、思いついたことを思うままに書き始めたはいいが終わり方がわからなくなってきた。こういうときは名言に頼るのみ。

Fact is stranger than fiction.

パンデミックはもうこりごりだけど。これから先、私にもフィクションより面白いことがちょっとくらい起こりますように。