ESULOG

30代会社員による雑記兼アウトプット修行

読書中に何を考えているか

読書をするときに、みんなは何を考えているんだろう。
私の場合は、色んな考えを張り巡らせているときもあれば、きちんと文字は追っているのに頭の中はまっさらのようなことも多々ある。
ということで、読書中の自分の頭の中をパターンに分けてみる。

没入型

一番集中しているときがコレ。主に小説で起こる。
ただただ物語の世界を読者という名の神視点から見守る、それだけに集中しているとき。
阿津川辰海『蒼海館の殺人』なんかは完全にこのテンションで、あっという間に読み切ってしまった。
Kindleで読んでいたのだが、後日書店で文庫本を見かけてその分厚さに驚いた。思っていた1.5倍はある。没入時の集中力は恐ろしい。

▲ 『紅蓮館の殺人』を読んでから、ぜひ


感情移入型

読書といっていいのかはさておき、漫画で頻発する。
先日小花美穂『Honey Bitter』を一気読みして号泣した。やはり小花先生は天才だ。

▲ 作品の説明が難しいのでオフィシャルのあらすじを読むが吉

活字であれば、やはり小説かノンフィクションだろうか。
平野啓一郎『マチネの終わりに』で感じた胸の締め付けやクライマックスでの不思議な開放感は感情移入の一種だろうと考える。私も大人の恋愛したいな。そんなこと言ってる時点で中身が子供なんだけど。

▲ 電子版、表紙変わったのね

シミュレーション型

これは新書・啓発書・学術書なんかの類。
たとえば数学の教科書を読んだとして、添えられた練習問題を解いてみる。
たとえばリーダーシップの本を読んだとして、最近の業務にどう落とし込むかを頭の中で試行する。
だからこの種の本は読むのが極端に遅くなるし、やたら疲れる。
滅多にないが、ミステリを真剣に解いてみようとするときもこの類。

散漫型

これは新書や啓発書の類が多いが、どんな本を読んでいてもどうしてもこうなるときがある。
要は没入型の正反対で、本とは全く関係ない思考がカットインしてきてしまう奴。本の文章がトリガーになることもあれば、何の前触れもなく雑念が飛んでくることもある。
1秒前まで目の前のミステリに集中していたはずなのに、不意に推しのライブを思い出したり。
全く気にならなかったはずなのに、思い出したように首のコリが痛んだり。
こういうときは諦めて一度本を閉じるべきなのだが、学生時代の授業中は教科書を閉じるわけにもいかなかったなぁ、なんて。

対話型

これは啓発書や小説で頻発。
著者や登場人物に突っ込んだり語りかけたり、対話を試みてしまうケース。
主には突っ込みや共感が多いが、ミステリを読んでいてミスリードに盛大に騙されたときなんかにも著者に一人でキレている。この手のタイプはKindleだと「くそ!」なんてメモが結構残っていて、たまに見返すと笑える。
エッセイも人間が描かれているが、意外とエッセイでは起こらない。不思議。

これの面白いところは、たまに奇跡的に対話が成立することだ。
心の中で突っ込んだ直後に「○○だと笑われた。うるさい、放っておいてくれ。」みたいなモノローグがあるパターン。対話に成功すると、ちょっとテンションが上がる。

流し型

私の場合、詩歌系は結構これがち。
というのもこれは流し読みではなく、字面、言葉選び、音の響き、それらを頭の中で転がしながらさらさらと流れるように読み進めることを指している。
目の前の読書という行為には集中していながらも、「お、この韻の踏み方いいな」なんて考えている。音楽を聴くような感覚だ。

あ、でも、ミステリで一つだけこんな感覚に陥った本がある。
東野圭吾『仮面山荘殺人事件』。
「ミステリなのにどうしてこんなに止め処なくするする読み進められるんだ」と頭のどこかで考えながらもページをめくる手が止まらないのは、なかなか不思議な感覚だった。

堪能型

詩歌は流しがちと言った直後でアレだが、こちらも詩歌にありがち。
たった一行に何分も費やして、その言葉の背景を考える。情景を浮かべる。そうしてもう一度心の中で復唱する。
以前加藤千恵の『真夜中の果実』という本を紹介したのだけれど、この短歌はまさに堪能すべきもの。
直前まで繰り広げられた短い物語をさらに短い31音に閉じ込める。これは噛み締めてこそより味がする。
最近読んでないな、加藤千恵さん。
s-esu.hatenablog.com



大体こんなところかな。
このブログはアウトプットの修行場。思考の言語化は常々しているつもりだが、こうやって分類するのはまた新鮮な気分だった。
私はこんな感じの思考回路を行ったり来たりしながら本を読んでいるが、他の人はいったいどうなんだろう。