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30代独身会社員のあれこれ雑記

映画「ある閉ざされた雪の山荘で」が期待以上に面白かった

公開初日にいそいそと観てきました。
ここから先は映画・原作についてネタバレがないようであるような感想を好き勝手綴っていくので、適宜自衛していただければと思います。


東野圭吾原作、言わずと知れた名作「ある閉ざされた雪の山荘で」

劇作家からオーディションとしてとある山荘に呼び出された役者7人。
何を審査されているのかわからない状況で、1人、また1人と役者が姿を消す。姿を消した役者は、殺されたという設定のようだ。果たして本当に設定なのか。はたまた、殺されてしまったのか。

……みたいなお話。


いや~面白かった。鑑賞後の余韻がすごくて、寒空を感じながら喫煙所でしばらくぼうっとたばこ吸ってました。

原作のメイントリックはそのままに、現代化したり、ちょっとシチュエーションや演出が変わっていたり、という映画ならではのアレンジ。
取り壊し予定のペンションだから好き勝手できるのにこんなきれいな建物でいいんか、とか思ったりはしたけれど、原作を知っていてもおおむね違和感なく呑み込めるものでした。

この作品の醍醐味のひとつである「心理的クローズドサークル」を丁寧に演出しているのもよかった。そうはならんやろと突っ込みたくなりつつも、彼らは役者で、殺人劇の真偽はわからなくて、役者として生きるためにオーディションに勝たなくてはいけなくて…という物語に引きずられて納得できる。この辺の作り込みはそもそも東野圭吾の巧さではあるのだけれど、言い争いのカットを作ることでより際立てていたなと。

それから、これは映像作品でしかできない面白さだなと思ったのは、フロアを真上から覗くいわゆる神視点。このカットが良かった。あれどういうスタジオでどうやって撮影しているんだろう。


そしてキャスティング。

キャストが発表された時、間宮祥太朗森川葵を筆頭に全体を通して「あ~わかる~!」という期待が大きかったのですが、主演の重岡大毅には少し引っかかりがありました。
原作の久我はなんとなく飄々としているというか、クール(でありたいが貫けていない)という印象があった。重岡くんの芝居のうまさは知っているけれど、どうしても普段の明るいキャラクターのイメージが強い。ていうか顔、主人公すぎる。いや久我も主人公なんだけど、久我にしてはあまりにも太陽みたいな顔をしている。
楽しみだけど、久我かあ……というのが拭えないまま映画館まで足を運んだのですが、まあとんだ杞憂だったわけです。
先ほどの映画アレンジの話にも繋がるのですが、あのエンディングを迎えるのであれば、久我に重岡大毅を当てた理由がすごくよくわかる。原作には描かれないあのラストに重岡くんはよく似合う。
ずっと抱いていた疑問が気持ちよく回収され、心の中でスタンディングオベーション。映画版ならではの鑑賞特典も粋でよかったですね。

間宮祥太朗演じる本多に関してはハナから「似合いそう~!」と期待してかかったのですが、軽々と期待値を超えてきたのでそりゃあもう良かったです。本多が紙たばこを吸うシーンでは心の中で特大ガッツポーズ。十角館のコミカライズでエラリイがiQ○Sだったことが悲しかった民としては、iQ○Sではなく紙たばこを選んでくれた監督(演出家?)に感謝が止まりません。
頼もしい印象がありながらもミステリアス、原作の本多に抱いていた魅力を映画でも感じることができて嬉しかったです。

キャストの話をもっとしたいけれど、あの役の話をしたらあまりにもネタバレかな、あのシーンの話をしたらあまりにもネタバレかな……ってつい考えてしまうのでこの辺で止めておきます。一切ネタバレのないことを言うなら、中条あやみのスタイルが良すぎた。



ある閉ざされた雪の山荘で、愛情の交錯する殺人劇。他作品と悩んだ末に選んだ新年初映画、大当たりでした。